卒塔婆の歴史

こんばんわ

今日は、少しは「卒塔婆屋さん」らしい投稿をこれから何回かに分けて連載していきます。といっても、サイトのコンテンツではもうすでに全て掲載しています(;^_^A

1.卒塔婆の歴史

追善供養に欠かせない道具として長く受け継がれてきた卒塔婆には、時代とともに形状や役割が変化してきた奥深い経緯があります。今回は、そんな卒塔婆の歴史についてご紹介します。

卒塔婆の起源は?

卒塔婆という言葉の由来は、サンスクリット語の「ストゥーパ」だといわれます。仏教はもともとインドで生まれた宗教なので、卒塔婆も発祥はインドなんですね。

仏教の開祖・シャカが入滅すると、その遺骨は8つの部族に分け与えられました。このとき骨を納めるために建てられた塔が「ストゥーパ」です。

ストゥーパは有力部族の首長の遺骨を納めるお墓としても使われました。五重塔や三重塔など、立派な高層建築物のストゥーパもあったといわれます。

そんなストゥーパも、中国、そして日本へと渡ってきました。中国では「卒塔婆」という漢字があてられ、日本へもそのまま輸入。現在でもその言葉はしっかりと受け継がれています。

Shwedagon pagoda at sunset, Yangon Myanmar
平安時代には追善供養に使われる

日本に仏教が渡ってきたのは、聖徳太子の時代の頃。仏教思想とともに、仏舎利や経典などを納める木塔の建立もはじまります。鎌倉時代になると、材料が木から石に代わって石塔が多く建立されるようになりました。

もともと、卒塔婆は死者を弔う墓所としての役割がありましたが、時代とともにその性質も異なり、直接供養の墓というより、補助的な意味合いの強い追善供養の役割を持つようになります。早くも平安時代の終わり頃には、後一条天皇の遺体が眠る墓の近くに石の卒塔婆が建てられたという記録が残っています。

平安時代の後期といえば、旱魃や地震、疫病の流行、大飢饉、あるいは僧侶や武士の反乱など、世の中が混迷を深めた時代。世の中が殺伐としていく中、厭世観や末法思想が広まり、「死後の世界はせめて安らかに眠りたい」という人々の願いは切実でした。追善供養として卒塔婆が使われるようになったのも、そうした時代背景と無縁ではないでしょう。

簡素化していった卒塔婆

時代とともに形も役割も変化していった卒塔婆ですが、とくに日本においての卒塔婆は、時代とともにどんどん簡素化・スリム化していったという特徴が見られます。

卒塔婆はもともと有力者を弔う墓塔として受け継がれてきましたが、その規模は三重塔や五重塔という豪華な建物も少なくありませんでした。しかし、墓が必要なのは王族や権力者だけではありません。最下層で生活する庶民も同じです。ところが、彼らには豪華な建物を建築する経済力は持っていませんので、粗末な石の塔で我慢するしかなかったのです。そのような事情から、庶民の間では人体を埋葬できる程度の石墓が定着していきました。

簡素化した卒塔婆は角塔婆から板塔婆となり、現在では卒塔婆といえばこの板塔婆であることはみなさんご存じの通りです。

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この卒塔婆=板塔婆の発祥の地であり、現在でも全国シェア断トツトップが我が日の出町なんですね。だけど、まだまだ知られてませんね。町や行政に頼るのではなく私たち卒塔婆製造業に携わる者が自ら発信する必要があります。

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